大阪狭山市の夏の風物詩、大野ぶどう。
一房のぶどうには春夏秋冬休みなく手をかけて育ててきた農家の人たちの熱い想い が凝縮されています。
7月初旬、市内各所に「大野ぶどう」の幟が立つと大阪狭山の夏が始まります。
直売所の店頭には一年間、栽培農家の人たちが精魂込めて育てた自慢のぶどうがずらり。甘いデラウェアを筆頭に、皮ごと食べられるシャインマスカットや色濃く深い味わいのピオーネ…
「どうぞ、味見して行って」。
店の人のお誘いにツヤツヤで弾けるようなデラウェアをつまむと、芳醇な香りと共にとろける甘さが口いっぱいに広がります。
ちなみに大野産デラウェアの糖度は23~24! 甘いメロンでも15くらいという中でこの数値は驚異的の高値。
「甘さの秘密はずばり土です。丘陵地にある大野の土は礫粘土(れきねんど)といって砂と粘土を含んだ地質で、ぶどう栽培に適した保水力、保肥力を持っています。さらに落葉や油粕、骨粉を堆積発酵させた肥料を混ぜた土がベッドになり、強い甘みと日持ちのいいぶどうになるんです」。
大阪狭山市果樹振興会の池田久雄前会長が話します。
市内南部に広がる大野の丘陵地にぶどうが栽培されるようになったのは明治後期。それまでは水田だったのですが、多照で水はけのいい丘陵地がぶどう栽培に最適だと気付いた一軒の農家が、河内長野の栽培農家から苗木を分けてもらったのが始まりです。
栽培は近隣の農家に広がり、最盛期には百軒以上のぶどう農家があったといわれます。
ところが、昭和30年代、高度成長期のニュータウン開発や近畿大学医学部の開設で半減。その後も従事者の高齢化等で廃業が続きました。
それでも「先代から受け継いだぶどうの樹を守りたい」という農家の強い想いによって継承され、現在は34軒。近年では味のよさに加えて新種やオリジナル品種に挑む農家が増え、知名度が広がっています。
大野ぶどうが店頭を賑わすのは夏だけですが、栽培作業は収穫が終わる9月以降も続き、年中行われています。
秋口には次の年に備えて樹木の消毒からスタートして防除、施肥と続き、冬に葉が落ちると剪定。新芽の付く2月にはハウス作業が始まります。
中でも特に重要なのが春先の「芽かき」と呼ばれる作業です。また、初夏、種なしぶどうにするために特定の溶液に浸す「ジベレリン処理」や、その後に行われる摘粒、摘房なども根気がいる作業。
こうした作業の多くは農家の奥さんやお祖母さん、娘さんが担っており、繊細で粘り強い女性の力こそがおいしい大野ぶどうを生む原動力になっています。
栽培農家の熱い想いとたゆまぬ努力によってつくり続けられた大野ぶどう。
平成21年には「大阪ミュージアム食生活部門ベストセレクション果物」に選ばれました。そのブランド力はますます高まっています。
大阪狭山の自慢の商品「さやまのええもん」。
その中でも、特に全国に誇れる商品として平成30 年に『大阪狭山ブランド』として認定され、より一層のPRと育成を目指していきます。
丘陵地を活用して大正初期から栽培が始まった大野ぶどう。ここで採れるぶどうは糖度が高く品評会でも数多くの受賞歴があります。代表格のデラウェアのほか、品種改良で珍しいぶどうも続々と。
7月から9月にかけて、沿道に直売所が並び、夏の風物詩になっています。
★は一部の直売所での販売商品です。
写真提供 : サニルージュ、ピオーネの写真は大阪狭山市果樹振興会50周年記念誌より、他は中村オリジナルぶどう園